見た目はすっごく可愛かったり格好良いのに、話してみると中身がない人に会うと「私は見た目ではなく頭のためになるものにお金や時間を使おう」と思っていました。
オシャレをしたり身なりにお金や気を使うことは、中身がない人間がすることで「かっこわるいこと」なんだと。
それに、中身があればオーラみたいな「内側から自然と湧き出る何か」が表面に現れてくるだろうとも。
オーストラリアに来て周りの人のリラックススタイルに感化され、ますますその考えに拍車がかかり、Tシャツ短パンノーメイクの楽なスタイルを貫いていました。
が。
ある時、「ただ単に楽なスタイル」と「自分が心地よくて、かつ素敵にみえるスタイル」は似ているようで全然違う。
別にばっちりつけまメイクとか、服を月に何回も買うとかではなくていいから「他人やシチュエーション」に気を配りながら身なりに気をつけること。
この記事は「自分の身なりに気を使うことはカッコ悪い」と思っていた私が、どうして「身なりに気を遣い始めたか」の5つの理由についてお話しします。
▲バイリンガールのちかさんと。身だしなみちゃんとしていよかった!
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見た目によって他人の反応が変わることを知っておくのは損ではない
「人は見た目が9割」とまでは言いませんが、見た目によって他人の態度が変わるのは事実です。
例えば毎日私が大学に行くのに乗っていたバスの運転士さん。
毎朝7時のバスだったので乗るこちらも運転士さんも眠くて機嫌が悪く、乗る時は軽く会釈をするだけだったのですが、ある朝学校でのプレゼンのため、ビジネスカジュアルを着てしっかりお化粧をしていったら「おはよう!」ってニッコリ挨拶されたんです。
あなたの頭の中身がどんなに良かったとしても「見た目」でシャットアウトされている可能性がある。
これからの人生で絶対に決めたいプレゼンや絶対に失敗したくないデートなど「大勝負」に出なくてはいけない時に、このことを体験を通じて知っておくのと頭でしっているのとでは、身だしなみの準備に違いが出てきます。
身だしなみを気にすることで自分の気持ちにスイッチを入れることができる
私が身だしなみに気を使ったのは大学で企業相手にプレゼンをするためでした。
化粧をしたり、企業からの人からの目線を意識した格好をしたりすることで気持ちが「しゃん」として、普段のゆるっとした雰囲気からスイッチを切り替えることができたのを覚えています。
人間だれしも「ずっと」きりっとしていることも、「ずっと」だらっとしてるのも疲れてしまうと思うのです。
それぞれのシチュエーションに合わせた身だしなみを意識することは、「さぁ今は勝負の時だぞ」と覚悟を決めたり、大事な場面で緊張感を保つ為に大事な「スイッチ」の役割を果たしてくれます。
中身がある上に身だしなみがきちんとしていると説得力が増す
「身だしなみ」に気を使えるということは「他人の視点から自分をみることができる」ということです。
だから、ある人の言っていることが正しくて面白くても、身だしなみがちんちくりんだと「ひとりよがり」な気がするんです。
一方で身だしなみがきちんとしていると、同じことを言っても受け取られ方が全然違う。
成績がいい営業担当や、銀行でクレーム処理をしなくてはならない上の人がきちんとした身だしなみをしているのはこのためです。
「自分なんて」という態度を捨て、自信を持つことができる
「身だしなみを気にしないこと」はある意味、「自分を気にしないこと」につながっているのかな、と思います。
少なくとも私はそうでした。
自ら進んで「身だしなみにお金や時間を使うのはかっこわるい」と決めつけていたのにおかしな話ですが、友達などと格好やおしゃれの話になると心のどこかで「わたしなんて」と思っていました。
逆に身だしなみに気を使うようになると、特に「何が自分に似合うのか」「何を身につけると一番自分を素敵にみせてくれるのか」を研究しよく判るようになってきて、それが「あなたによく似合ってるね!」と言われたら、自分のことをよく知ることができた、という自信になります。
「身だしなみに気を使う」ことは「自分自信について知ろうとする」ことなのです。
自分の身だしなみに気を使える人の余裕
自分の身だしなみに気を使える人って、気持ちと時間に余裕がある人。
自分をベストに見せるためにどうしたらいいかな?という研究をできる人です。
こういう時間って人生に必ずしも必要ではないけれどワクワクします。自分をもっと知ることができる時間であり、それによって周囲の反応がいい方向に変わるのなら、やらない理由はありません。
もしあなたが身だしなみに気をつけるのが「かっこわるい」と思っているならもったいない。
中身と身だしなみ、二つ揃って初めて「きちんとした人」の印象が整うのではないでしょうか。